河陽離宮と水無瀬離宮(令和3年6月11日掲載)
当館で刊行している図録をより詳しく紹介します。
ご購入の際にはご参考になさってください。
第23回企画展図録「河陽離宮と水無瀬離宮」 令和3年6月11日更新
今年、令和3年(2021)は「承久の乱」が起こって800年という節目の年です。
「承久の乱」とは、承久3年(1221)、当時の朝廷で権勢を振るっていた後鳥羽上皇が、鎌倉幕府に敗れた戦いを指します。
上皇は、隠岐に流され、京都に戻ることなく、その地で没しました。
ところで、後鳥羽上皇は島本町の水無瀬離宮(水無瀬殿)という別宅を構築し、この地で和歌や狩猟を楽しみます。すぐそばにあった水無瀬川を題材にして数多くの和歌も残しました。
上皇は京都周辺に多くの離宮を持っていましたが、水無瀬離宮はもっともお気に入りだったようです。
では、その離宮はどのあたりにあったのでしょうか?
当歴史資料館『河陽離宮と水無瀬離宮』には、こうした情報が載っています。
9世紀前半に嵯峨天皇が築いた河陽離宮についても載っています。
ぜひ手に取っていただければと思います。
更新日:2021年06月11日